宮本將廣のExtraColumn002「楽しい」とはなんだ 〜バスケ観戦に想うこと〜

宮本將廣のExtraColumn002「楽しい」とはなんだ 〜バスケ観戦に想うこと〜

なんとなく、コラムを書こう。そう思った今は午前2時だ。

「宮本とズボンのナガイヤツ」でおなじみのエクストラパスポッドキャストを毎週配信している。

正直、僕は毎回楽しいと感じつつも、不安になる。

しかし、それ以上にここ最近、好き勝手喋る僕に相方のズボン氏の負担は相当なもんだろう。本当に尊敬と感謝の気持ちでいっぱいだ。

僕は87Basketball Labというコンテンツも運営している。

「ファンがバスケを学ぶ場所」として何か発見があったり、よりモヤモヤしてもらったり、考えのヒントになるような場所になれたら嬉しいと思っている。

さて、なぜ今回これを書いているのか。

それは「楽しい」とはなんだ。今、この瞬間自分に問いかけているからだ。

これは今に始まったことではない。

もう数十年こんなことと向き合っている。

022回ポッドキャストの宮本は、まー、口が悪い。

というか、ここ最近、宮本の表現はなかなかなところを付いていると思う。

聴く人によっては「なんだこいつ」と思われても致し方ない。

(なんならすでにそう思われている)

ポッドキャストの初回は5月14日の収録だった。

妙な緊張感で始まり、自分自身も初めてなこともあり、色々準備して望んだことは昨日のようだ。

ただ、何回目だっただろうか。

そんな準備をする自分に違和感を感じ始めた。

それは、基本的に宮本という人間は意気込んで準備をする人間ではないからだ。

意外かもしれないが、宮本は繊細で求められた結果を出したいと遂行するタイプだ。

結構な気にしいで、かなり周りの目を気にする。

やればやるほど、不安になるタイプなのだ。

小学生の頃から
「先生は推薦とかではなく、立候補でやってほしいな」
という謎の言葉、そしてチラチラと友人たちが僕を見る圧力にいつも屈指

「僕がやります」
と言ってきたタイプの人間だ。

学級代表、学年代表、生徒会長、〇〇委員長…
そんな類はほとんどやってきた。

いや、そういうタイプの人間と思われていたし、そこそこにこなしていたように思う。

どの時代も先輩とも後輩とも同級生とも、女子とも程よい距離感にいた。

ポッドキャストでおなじみのパサパサさんは後輩からするとなんとなく近寄りがたい存在の1人だった。
(ちょっと怖いし、当時から体格も変わらずでごつかった。)

でも自分は色々と可愛がられたものだ。笑

ある意味、徳をしていると言えば徳をしている。

ただ、それはらしさというか作られたキャラクターでもある。

いつも夜な夜な布団に入りながら、数時間様々な自問自答をしたものだ。

自分らしさってなんだろう

だいぶ話がそれたので戻そう。

「楽しい」とはなんだろうか。少なからずポッドキャストを聴いてくれている人はそれを聴くことに楽しさを感じてくれているはずだ。(多分)

それ自体は何か認められているような…そんな嬉しさがいつもある。

人間には皆、承認欲求のようなものがあると思う。

ただ、最近思うのだ。

それで自分は楽しいのだろうか。

なんとなく、求められているようなものをセオリー通りに並べていく。

同時期に書いた87Basketball Labの記事でもいくつかDMをもらった。

その中には批判もある。

多くの方が「楽しい」を求めて情報をキャッチしているはずだ。

でも、その「楽しい」もまた人それぞれである。

そう。「楽しい」ものは求められるのだ。それはきっと普遍なことだ。

では、自分は何が「楽しい」のだろうか。

バスケにどんな「楽しい」を求めているのだろうか。

そこをもっと言語化して伝えなくてはいけない。

なぜなら、そこは人と違う自分の経験や感性だからだ。

10歳からバスケをやって、20歳からコーチを始めて、25歳で自分の理想のクラブを立ち上げて、30歳でエクストラパスを始めた。

振り返ると僕はバスケ自体が「楽しい」と感じることが正直あまりない。

バスケを観戦していても眉間にシワが寄っているし、試合後はエクストラパスのようにうだうだ言っている。

バスケをみてストレスがたまることはしょっちゅうある。

コーチをしているときもそうだった。

悩むのだ。ただひたすら悩み、ビデオを見ていて、気づいたら朝だったなんてことは数え切れないほどある。

恐ろしくストレスがたまるし、楽しくない。うまくいかないの繰り返しが続く。

正直、なんでこんなことをやっているのだろう。

しょっちゅう思った。
でも、本当にどこかのタイミングで、全てが繋がり、スパーンと道が拓けて、景色が変わる瞬間がある。

その瞬間が感じたことないくらいの「楽しい」を感じる。

だからやめられない。

以前こんなことを話してくれた人がいた。

「こんなものを求めてるんだろうな。って思っているとだいたいダメ」

まさに僕が今、そんな感じな気がしている。

「楽しい」から求められるのではなく、求められる「楽しい」を探してしまっている。

そして、それをしている自分になんか納得していない。

自分はこれが「楽しい」と思っていることを準備して提示している。

でも、それは僕にとってなにか違う。

そしてそもそも、僕は人生31年

わざわざ準備をしてきたことがない。

全校生徒の前で喋る時も、結婚式のスピーチも、大学で講義をした時も、全てその場のアドリブだった。

テスト勉強も、受験勉強も、ピアノの発表会の練習もほとんどしたことがない。

でも、それができるくらい、日常生活にアンテナを張っているのもまだ事実だと思う。

そんな自分に心のどこかのリトルみやもんが囁く。

「なんかつまらないぞ」と。

エクストラパスがそこそこ認知されている感じがある。

このまま行けばいい感じに多分なる。

でも、それでいいんだろうか。(超個人的意見)

しかし、今のご時世、思ったことを思ったように言うのも難しい時がある。

その1つに、多様化したこと。コミュニケーションのツールが増えたからこそ、その相手の表情や受け取った時の空気感が見えないからだ。

だからこそ、もっと相手の気持ちを察知しなくてはいけない。

でも、自分はどうだ?そんな相手の気持ちを察知してるのか?

また、思ったことを話して、書いて、どんなリアクションがあるのか知りたい時もある。

自分が間違っているとわかっていても、叩かれるだけ叩かれても、そこから間違いなく見えるものがある。

そこから新しい課題が発見されるからだ。

そんな真ん中に今いる。

動いてる歯車になって流れていく。でも、全然違う歯車をぶち込んでみたら、最初は動かないけど、そのうち周りに色んな歯車をはめて、それが噛み合えば、もっと色んなものを動かしていける。

それが新しい発見や学び、言うならば「成長」だと、僕はそう思っている。

ただ、配慮が必要だ。なぜなら壊れる可能性もある。僕にはその配慮がかけている。

そして、そこには「楽しい」が必要なのだ。

まるで子供が夢中で積み木を積んでいくように、「楽しい」をきっかけに様々なことが連鎖していくように。

そして、それができない。配慮がない。そんな自分の不甲斐なさに凹む。いつもそんな繰り返しだ。

さて、この話もだいぶそれて、そろそろ話がわからなくなってきたからまとめたい。

要するに僕は感性で生きてきたタイプで、頭が良くない。

でも、準備などはしない。セオリーもそんなに考えない。笑

感じたことを表現したい。

以前バスケの動画をあげたことがあるが、多分普通の人に思いつかないプレーをする。

それが「楽しい」だったのだ。

その感性は人と違うからこそ、人に認められないと活かしていけない。

その中でアンテナも多かったし、人一倍神経質だ。

だから時にビビってその感性をしまってしまう。

だからいつも周りを見て、情報を探している。

エクストラパスでバスケの話から突然サッカーだ、野球だ、ママレードボーイだ。

と話が飛ぶのもそのせいだ。

でも、今となってはその雑学が財産である。

ちなみに僕の高校の時の偏差値は43だ。

自分にとっての「楽しい」はバスケを見ること以上に、空想を広げた自身の感性に知識が交わりあった時が楽しいのだ。

要するに、新しい発見、新しい学びを得て、それが繋がった瞬間が何よりも楽しい。

それは「成長」することであり、昨日の自分よりも今日の自分が成長したと感じた時が楽しい。

なんならバスケはその成長のためのツールで、言ってしまえば、バスケは日常の一部に過ぎないくらいのものなのかもしれない。

だから週末が待ち遠しい!とかも正直ない笑

さて、本当に意味がわからなくなってきた。

ここまで読んでくれた方はかなりの強者だと思う。本当に感謝したい。

今ちょっとこの僕のモヤモヤしている感じ、辻褄があっていない感じは、どこかでスパーンと道が開ける時があると思っている。無い知能が24時間フル稼働しているのかもしれない。

でも、バランスが大切なのだ。

独りよがりになってしまっては「楽しい」なんて全く生まれない。

バスケを始めた時のただ右から左にボールと人が走り回り、シュートが入った外れたに「楽しい」と一喜一憂する感じは忘れてはいけない感情でもあるのだ。

エクストラパスポッドキャスト022回で「羨ましいんじゃないですか?」と言う発言をした。(詳しくは3時間の配信を。)

でも、思い返せば、スポーツは結果や目の前のワンプレーワンプレーに一喜一憂するものだ。先が見えてしまう。もっとこうすればと考えてしまう自分はすごく損な人間なのかもしれない。

もしかしたら、自分自身がそんな瞬間瞬間のスポーツを全力で感情を爆発させて楽しんでいる人たちを「羨ましい」とどこかで思っているのかもしれないし、欧米のスポーツファンはそれがかけ合わさっているからこそ、羨ましさを感じつつ、でも日本、北海道のオリジナル、アイデンティティを探したいと模索している。

でも、僕にはその一喜一憂するスイッチがどこを探してもないし、まだまだ未熟すぎてそのバランス感覚がない。知識も浅はかだ。

地元北海道に貢献したい。

バスケを盛り上げたい。

誰かのためにいい発信をしたい。

そんな想いは誰よりも強く持ちつつも、批判ばかりが目に入る。

結局何もできてない。そんな自分のことが見えてない自分に失望したこの数日だった。

あー、こうやってどんどん外様になっていくんだなと。

ただ、いつもここにたどり着く。

ある意味でそれは使命なのではないか。

そんな自分だからできることがある。

コーチをしている時も感じた。「俺が指導すれば強いチームが作れる」と豪語する人や指導者をやってみたい。と言う人はたくさんいるが、簡単に指導者になれるものではない。
(そこも色々思うところはあるが…)

逆に今、こうやって発信をする立場で、それ自体もなかなかできることではないし、人ができない多くの経験をすでにさせてもらっていることに感謝しかない。

そのどちらも僕の考えは同じだ。

コーチをしたくても、そのコーチから学びたい選手が集まらなければ、コーチはできない。

発信者も、その発信が面白い、知りたいと思ってくれるファンが集まらなければ、発信者にはなれない。

どちらもそんな人たちのおかげでできるものだ。

自分の感情も揺れながら…僕はいつもどっちかに振れ過ぎて失敗をしてきた。

模索し、頭を悩ませてきた。傷つくことなど腐る程あったし、それ以上に誰かを傷つけるほうが自分が傷つくのだと知った。

ただ、嘘をつけないのもまた自分だ。

怖くなり、求められていること、正確に言えば、こんなことを求めているのではないかな。と言う勝手に思い込む。

もしくは、コントロールができなくなり、自分がただそれをやりたいだけ、言いたいだけの自己満足

それがどんどん偏って、バランスが崩れていく。

浅はかな僕はそんな僕に、その瞬間に気づけずに失敗をする。

今回もそんな失敗だと思う。

それを取り戻すのはえらい大変だ。

でも、ちょっとスッキリした感がある。

失敗したあと、人は成長する。(多分)

そこには間違いなく僕の「楽しい」が待っている。(きっと)

早速、来週のポッドキャストはズボン氏にこれを聞いてみよう。

なぜなら僕が「楽しい」から。笑

まずはそこから始めてみよう。

そして、僕に与えられた使命を全うできる人になるための発見や学びを得て、成長して行こう。

僕の「楽しい」と誰かの「楽しい」をもう少し配慮を持って掛け合わせていきたい。

僕は北海道とその土地にあるプロクラブを愛している。

また、ここから小さな僕の挑戦を始めよう。

さて、深夜3時を過ぎた。

僕はこれから島根vs名古屋の試合を観戦する。

エクストラパスの余計な方の男・宮本

コラムカテゴリの最新記事