ある男の「想い」に心を動かされた。冷静な表情で淡々と語りながらも、熱い想いが伝わってきた。「同い年」ということもあり、その「想い」に共感することは必然でもあったように思う。
アースフレンズ東京Z U15ヘッドコーチ岩井貞憲
クラブのU15の立ち上げから関わり、BリーグのU15の中で、毎年成績を残しつつも、選手それぞれの未来の可能性をより引き出し、次のステージに送り出す。アースフレンズ東京Zが注目を浴びる存在になったのは、彼の功績はもちろんのこと、その「想い」に集まった選手達、保護者の皆さんとともに作り上げたカルチャーがあったからだと思う。
今回はそんな岩井貞憲コーチに話を聞いた。
宮本 3年間、アースフレンズ東京ZのU15のHC、お疲れ様でした。
岩井 ありがとうございます。
宮本 まずは昨年度の最後の行われたCHAMPION SHIPのことを振り返らせてください。3位という結果で終わりましたが、率直にどんな気持ちというか、きっと最後の大会という気持ちで臨んだと思うのですが。(大会後、クラブから退団のリリースが出る。)
岩井 率直な気持ちは…悔しいというのが1つですね。
宮本 優勝したかった?
岩井 はい。僕たちが大会の前に目標として掲げていた1つに、会場が東京体育館だったので、高校生がウィンターカップをやる会場じゃないですか。選手達の憧れの1つが、ウィンターカップで活躍するというのもあるので、同じ会場で、僕達が成長して、観てくれる人たちが感動だったり、喜びだったり…彼らも高校生達を観る中でそういうものをもらっているので、僕達も観ている人たちにそういう想いを届けよう。表彰台の上に乗って、みんなで喜びを分かち合える瞬間を作るんだ。そこを想い描いて、その瞬間をイメージして、ワクワクしながらやっていこうと伝え続けていました。CHALLENGE CUP、Jr.ウィンターカップとうまくいかないことばかりでしたし、緊急事態宣言で練習もなかなか出来ない難しい状況もあったんですけど、そこに届かなかったので、めちゃめちゃ悔しかったです。
宮本 僕もYouTubeの「BASKETBALL DINER」でユースを追いかけさせてもらったんですけど、子供達が一瞬一瞬に向き合って成長している姿をすごく感じました。ヘッドコーチとしては「これじゃまだ足りない。」という厳しさを持たないといけないこともあったと思うし、プラスして、緊急事態宣言が出たりする中で、選手達がバスケットボールを楽しみきれる環境がなかなか作れず、複雑な気持ちもあったと思うんです。個人的な印象として、最後の大会は、コートに立った時の岩井コーチの表情の変化をすごく感じました。その辺は意識された1年だったんですかね?
岩井 そうですね。ちょっと感じたのは、1年目や2年目の選手だったら、今まで通りでも良かったんですけど…宮本さんとかも見てわかると思うですけど、最後の選手達は、そこまでメンタル的にガンッていくような子達が多いわけではなかったんですね。むしろ僕がガンってやっちゃうとちょっと萎縮しちゃったり、失敗したらどうしようとか、うまくいかなかったらどうしようとかが先に来ちゃうので、もちろんコーチと選手の関係なんですけど、最後の大会は一緒に戦おう。一緒にベンチから声を出して、グッドプレイだったりとか、ポゼッションごとにコートサイドから常に声をかけ続けて、ハンドクラップして、盛り上げてっていうのをやろうと思いました。そういうところは最後の最後に僕の関わり方も変わったかなっていうのが1つありますね。
宮本 立ち上げから3年間やってきて、振り返ってみた時に、最初何もわからない状態から…それこそ、岩井さんのnoteを読んでいただければわかると思うんですけど。そういうところからスタートした時のお話とかをちょっと聞いてみたいんですけど。
岩井 最初は正直、厳しい環境というか、色んな意味で、フロントに僕がポンと行った時に周りの方もどういう風に協力していいかわからないし、でも、みんなもそれどころじゃないし(笑)。初年度のトライアウトを3月にやったんですけど、4月の体育館もまだ決まってないような状態で「どうする?」みたいなところから、高校の先生とか、協力してくれる方が出てきてくれて、練習が少しずつ始まっていく…というようなスタートでした。東京都は強豪の部活とか、街クラブも…それこそアルバルク東京、サンロッカーズ渋谷というビッククラブ。アルバルク東京は当時、1年生を集めたんですけど、サンロッカーズ渋谷や川崎ブレイブサンダースが近くにある中で、最初に来てくれた選手というのは、特に後ろ盾もないし、チームとして何かできるということもないけど、君たちのそのポテンシャルだったら、プロに行けるよって指標を作って、バンって出して(笑)、保護者と選手たちにオリエンテーションでミーティングしながら「一緒にやりませんか?」っていう想いに共感してくれた選手が多かったですね。ユースコーチは1人なので、クラブの中では寂しい時はありましたけど、ポツンって(笑)。
宮本 そうですよね。他の方と違う仕事だから、孤独なところが多いですよね?
岩井 そうですね。でも、保護者や選手がいてくれたので、頑張ろうって思えたのが、立ち上げ当初ですね。
宮本 1年目で印象的な出来事とかあったりしますか?
岩井 そうですね。その当時は、Bユースが始まった初年度で、当時は8月にCHAMPION SHIPがあって、そのベスト4以上と海外の2チームでCHALLENGE CUPが3月にあったんですよ。8月の大会では、運よく3位に入れて、選手達も個人としても実績がある選手達だったんですけど、横浜ビー・コルセアーズと戦った時に、横浜はジュニアオールスターとかの選手がいない中で、大敗して…こんなに上がいるのかって。実績じゃないよという彼らの刺激になったと思うし、練習とか練習試合を重ねて、3月の大会は優勝することができました。正直、どうなるかわからないポジションコンバートと個を生かしたファイブアウトのオフェンスは、僕も初めてのチャレンジが多かったので、うまくいくのかわからない中、選手達がついてきてくれました。選手達が大きな成長を見せてくれたのが、すごく印象的な1年でした。保護者もそうだし、選手にも恵まれましたね。自分の意見をはっきり言えるし、ちゃんと話も理解できて、課題をとらえることができる選手達だったので、あまりマインドの部分に手をかけることがありませんでした。課題の受け止めも早いので、できてないことを変に隠そうともしないし、ダメだとも思わないし、今、これが課題だから、これをやらなきゃいけないっていうような認識をパッとできるような選手ばかりで、1年目は、色々チャレンジをする年として、技術とか戦術とか、そっちの方にフォーカスできた年でしたね。
宮本 ある程度、結果が出て2年目を迎えるときに、方向性とか指針が岩井さんの中で立つと思うんですけど、その時の方向性、指針というのはどんなものだったんですか?
岩井 そうですね。少し手応えは感じたので、そういう可能性のある選手がプロになる確率論を、どういう風にしてあげていくかと考えた時に、僕が提供するものもそうですし、選手の現時点のポテンシャルですよね。どこまで成長するのかっていうのを見極めなきゃいけない。そして、おっしゃる通りで、ビジョンというか、将来からの逆算で、今何をするべきか。もちろん今何が起きているか、課題が何で、未来に向けて何をするかという視点もあると思うんですけど、強いチームを作るというのは目的ではないと思うので、Bリーグで活躍する選手や海外で活躍する選手を輩出するために、どういう可能性がある選手がいて、今、どんな練習をするのかというのを、より考えていかないといけないんだな…と2年目の最初の頃に感じるようになりましたね。
宮本 そのイメージで取り組んだ2年目っていうのは、振り返ってみるとどうですか?
岩井 そうですね。これはまた選手達の成長可能性は抜群だったんですけど、やんちゃな選手ばかりで(笑)。これちょっと本当にどうなるの?っていう(笑)。1年生からいた子も何人かいたんですけど、やっぱり自分たちの代になると、ちょっと変わるというか、いい意味で本性が出てくるところがあるじゃないですか?本当にやんちゃで、まずは話を聞くところから(笑)。
宮本 (笑)。
岩井 人の話をどうやって聞くのか、なぜ聞かないといけないのかっていうところからスタートしました。面白いなーって思ったのは、個の能力とか、個の考え、意見とかはすごいんですけど、僕が「これはこうだよ。」といっても、俺はこう。俺はこう考えている。俺はこうしたい。10数人いた時に、10数人全員、考えが違うから(笑)。もうどうするんだよって(笑)。そういう意味で、チームを作るっていう目的ではないですけど、彼らが成長するためには、チームで自分の個をどう活かさなくてはいけないかっていうのも、伝えていかないといけないと感じました。2年目はチームビルディングとか、チームをどういう風に、より効果的に、より生産的に作った方がいいのかな?っていう視点を持ちながら、でも、そのチームの色に染めてしまっても、ここでずっと預かれるわけではないので、どこのチームにいっても、自分を活かせるように、チームを学べるようにということを考えましたね。バスケの技術とか、成長可能性とかはすごく感じられる選手達だったので、そこに関しては順調に育っていくっていうイメージはできていました。
宮本 コーチのキャリアを進んでいくときに、学び直すってことがあると思うんですよ。
岩井 うんうん。
宮本 自分の中でのテーマは毎年変えて行きました?
岩井 毎年違いますね。年間とか、大きい視点で見ても、そこにいる選手によって違うし、もちろん1年生からいる選手もいるんですけど、どうしても上の選手の方が影響力があるから、そこが入れ替わると、チームの雰囲気がガラッと変わりますよね。やっぱり、人が違うので、課題とかも違うから、長いシーズンで見た時もそうですし、試合においても、課題は全く別だから、その度、勉強をするしかないですよね。学び直すこともあるんですけど、新しく学ばなきゃ始まらないよねっていうものもすごくあるなと思いました。
宮本 そうですよね。それは僕もそう思います。
岩井 過去の経験から、ある程度の予測みたいな。統計的にこんな感じになるかなっていうのは想定はできますよね。もちろん、それも積み重ねの部分は大事になってくると思うんですけど、本当に子供達と向き合って、その課題を解決していこうとするときに、過去の経験で何とかならないこともありますよね(笑)。役に立たないわけではないですけど、過去のものに囚われてて、子供達に接しちゃうと、あまり生産的じゃないというか…いいものは作れないから、僕自身も新しいことを常に学んでいく必要は感じますね。
宮本 今のことに触れて行ったり、自分がチャレンジをしていかないといけないってなりますよね。
岩井 そうですね。今のままだとなかなか難しくなりますよね。
宮本 僕が練習に通わせてもらって印象的だったのが、最初のミーティングだったり、個別のミーティングの声かけがすごく印象的で、あれは初年度からやってたんですか?
岩井 あれは初年度はあまりやってなかったですね。ただ、何だろうな…何かをきっかけにやり始めた記憶があって、1年目は特になくて、2年目からミーティングとかを始めましたね。
宮本 それもある意味、子供達と向き合った時の変化であったりとか?
岩井 そうですね。そこは大きかったかもしれないですね。
宮本 3年目について聞いて行きたいんですけど、まずスタートが緊急事態宣言で、バスケットボールがそもそもできないという状態からスタートした時に、先が見えない中での取り組みはどんなことを考えていたんですか?その時のリアルな気持ちは聞いてみたいなって。
岩井 そうですね。ここは…なんかあれですね。大人の方が感情のダメージが大きいのかなって思うこともありました。そういう時に子供達から学ぶというか、新しく知ることも多かったです。3年目にいく前の、2年目の3月にJr.ウィンターカップのプレ大会が本当はあったんですよ。コロナで中止になったんですけど。その時は1月にCHAMPION SHIPがあって、準決勝で横浜に残り2、7秒で逆転負けをしたんですね。選手達も悔しくて、もう泣きながら3位決定戦を迎える感じだったんで、最後の大会は優勝したいという気持ちが強かったんですけど、その大会が中止になりました。その連絡をもらった直後がチームの練習だったんですよ。その時のキャプテンにまずは話をしようと思って、当時のキャプテンが山口隼という北陸高校に進学した選手なんですけど「大会がなくなった。チームメイトに言う前に隼に伝えるわ。」という話をして、大会もなくなるし、こういう状態だから、練習もみんなのモチベーション的にどうだろう?と。もしあれだったら、先に高校に行って、練習に参加させてもらってもいいんじゃないか?という話をしたんです。でも隼が「僕達は最後までここでやります。大会が無くなっても僕達のゴールはここじゃない。Bリーグだし、日本代表、海外で活躍することが目的だから、僕達は大会がなくても最後までアースフレンズでやります。」と。彼がすごいのは「僕が」ではなく「僕達は、チームは」と意見を述べてくれたところですよね。そして「練習を抜けたいと思う選手は誰1人いないと思います。だから最後まで練習を続けてほしい。」と聞いた時に、もう自分が頑張らないとダメだなと思いました。
宮本 それはコーチとしてもグッときますね。
岩井 はい。他の選手達にも聞いた時、もちろんいろんな感情が生まれて、泣きそうになる選手もいるし、悔しい選手もいるけど、キャプテンの隼がカリスマ性がある子だったから「隼が言うなら、最後までやろう。」となって、高校に早く来てもいいよと言われてる選手もいたんですけど、最後までアースフレンズでやってから行きます。という選手が全員でした。これはすごいなと思いましたね。そんな中で、状況は悪くなっていって、練習も続けられないとなって、これが最後の練習となった時に、2年目の世代、隼の世代ですね。その選手達と現役である3年目の世代の選手達で試合をしたんですね。現役がボコボコにされたんですけど(笑)。でも、やっぱり彼らも何か受け取るものがあったんでしょうね。最後の大会が無くなってしまったけど、後輩達に練習でも色んなことを教えて、最後のゲームでも手を抜かずに、ボコボコにして(笑)。何か無くなったからダメだではなくて、何かを無くしたけど、前を向いている選手達が身近にいるよねって、刺激を受けたと思うし、色々感情はあったと思います。どうしても気持ちが折れてしまう選手とかもいたことも事実ではあると思います。その後は、中学校の大会も無くなってしまったし…でも、Bリーグの大会があることだったり、Jr.ウィンターカップの予選があるということが、彼らのモチベーションにはなっていたと思います。まー、それもなくなる可能性はあったんですけど、なんとか開催してくれた。そういう意味で、僕らは自分達の力だけじゃなくて、上の選手たちやBリーグやJBAが用意してくれた環境がものすごくあったので、そこに感謝しながら、頑張って乗り越えようって思いながら、過ごす時間でしたね。
宮本 時間を追うごとにどんどん制約が増えていった時期もあり、本当に最後のCHAMPION SHIP…まだバスケットライブで見れるので、ぜひこれを読んだ方には観てほしいですね。
岩井 うん。観てほしいですね。
宮本 本当に想いの詰まった試合ですよね。これは東京Zさんだけではなくて。
岩井 そうですね。本当にどのチームも。
宮本 3年間、このチームの立ち上げから来た中で、岩井さんが得たもの、コーチとしての変化とかありますか?
岩井 そうですね…色々…
宮本 ここまでの話を聞いていると、僕もコーチ経験があるんですけど、本当に子供達から学ぶことが多いなってすごく感じるんですよね。
岩井 本当にそうですね。学び得たことはたくさんあるんですけど…もちろんユースなので、プロ選手を輩出しなくてはいけない。最初はその想いが強かったんですけど、でもそれが先に来るんじゃなくて…難しい部分ではあるんですけど、現場のコーチの視点と、経営的な視点とかだと全く話が変わってくることも理解しているので。でも、選手達がより良い人生だなって思える中に、プロ選手という選択が1つあるというのが大事になるんじゃないかなというのがあって、プロ選手になるのが目的の組織ではあるんですけど、やっぱり、まずは彼らの人生がより幸せになるように、自分は何ができるのか。そんな視点を改めて持てたというのが大きいと思います。20代とかの頃は人間性とか、心を育てないといけないというのはもちろん頭の中にはあったんですけど、やっぱりね…勝ちたいし(笑)。
宮本 まー、そうですよね。やれば勝ちたいですよね(笑)。
岩井 バスケットの新しい戦術とか技術が入ってくると「俺、知ってるぜ。」みたいにやりたくなっちゃうんですよね(笑)。
宮本 「俺はそれを使いこなせるんだぜ。」みたいな(笑)。
岩井 そうそうそう(笑)。正直、選手に寄り添えない瞬間とかも過去にあったりしたので…今振り返ると、そういう視点を持てたことは大きいと思うし、でも、まだ見えてないことや気づけてないこともあるだろうなーって思うので、そこはまた新しいチームでチャレンジを続けていきたいと思います。あとは選手達や保護者の方が、結果が出たからではなく、想いのある選手達、36名がいてくれたんで。逆に僕もいい意味で、彼らの想いとか、次のチームで繋ぎたいなって。ただそういう選手ともいい意味でなかなか出会えないと思うので、過去を引っ張りすぎないで、新しいチャレンジをしていきたいと考えています。
宮本 最後に、これから岩井貞憲はどんなコーチになって行きたいですか?
岩井 そうですね…現時点での本音としては、わからないですね(笑)。知れば知るほど、そういうところに触れるほど、わからないことが多くなってくる。バスケットの技術とか戦術とか、フィジカルの部分とか、マインドの部分とかも、学びながら、ベースにある知識とか、パッケージじゃないですけど、そういうものは持っていると思っています。それを踏まえて、自分がどうなりたいか?っていうのは、自分が知れば知るほど、自分もよくわからなくなっていくというのも正直なところがあるので、そこはね。僕の課題なのかな?(笑)。
宮本 僕も同級生なので、すごい共感です。そういう意味では僕も今後、岩井貞憲というユースコーチがどんなコーチになっていくのかっていうのも見て行くのがすごく楽しみなので、そういう視点で応援していきたいですね。岩井コーチもおっしゃってましたけど、人の想いとか、子供達に伝わったり、子供達とともに1つの想いを持って戦った試合が過去の試合やCHAMPION SHIPに詰まっていたと思うので、そういうところは忘れないでやっていきたいですよね。
岩井 そうですね。想いはしっかりと引き継いで、次のチームでも戦っていきたいし、やっぱり彼らに新しいチャレンジをしていこうと伝えているので、僕も新しいチャレンジをして行きたいですし、やっぱり好きなんだなって思うのは、ある程度、形があるものではなくて、何もないところから何かストーリーを描ける方が僕は好きなんだなって思ったので、次の舞台もまたそんなチャレンジをしていきたいと思います。