ダブドリの取材で秋田に出向いてから、ちょうど1ヶ月ほどがたった。
ダブドリvol.11の長谷川暢の取材だ。
秋田に行って、元気そうな彼をみて、むしろこちらが元気をもらった。
スポーツにはそんな力がある。
いや、長谷川暢にそんな力があるのかもしれない。
能代にも足を運んだ。ただただ歴史の重さを知った。
今年度をもって名門能代工業が統合によって、校名が変更される。
先日、テレビ番組でもそんな特集をしていた。
時代はいつか必ず終わりが来る。
そこにはさまざまな感情を、それぞれがそれぞれの立場で抱いている。
そうやって未来は予想もしないようなストーリーを描く時がある。
昔、あるドラマでこんなセリフがあった。
『色鉛筆と同じ。大事なものから先になくなるの。』(最高の離婚)
そう。大切に想うものは何故かなくらなずにずっとあると思い込んでしまうのが、僕らであり、それはどこか愚かな気もしてしまう。
平和も、当たり前の毎日も。
なくなるのとは少し違うが、怪我をしてしまうことも、全く想像はしていない。
チームのためにハードワークして、リムを守ってくれるコールビーも…ずっとそこにいてくれるものだと思っていた。
いや、思いたかったのだと思う。
コールビーの怪我が、まずはしっかりと治り、またバスケットボールをする姿を見れる日を心から願うばかりだ。
そして、彼の想いをしっかりと秋田のゴール下でチームで表現してほしいと願う。
けれど、同時に過去はずっと色褪せることなく、いつまでも僕らの心に刻まれていく。時にそれを色濃くしたり、そこにあったことさえも忘れそうなくらい、色褪せてしまいそうになりながら…
能代工業出身のプロ選手。その1番下の世代は誰だろうか…
今は、おそらく渋谷の盛實海翔がそれに当たる。
そして、今後、能代の名を背負う選手が出てくるかは、今のところわからない。
長谷川暢も能代の名を背負う1番下の世代の1人であると考えると、秋田でプレーをしている今は、本当にものすごい巡り合わせで、ものすごい特別なことなのだと思ったりする。
そして、もう1人
猪狩渉がいる。
長谷川暢と能代工業で同級生。スラムダンク奨学金の8期生だ。
彼は本当に人の心に火をつけるがうまい。
きっと長谷川暢も彼に何度も心に火を灯してもらったのではないか。
そんなことをよく思う。
そして、猪狩渉はどこまでも真っ直ぐな男だが、それでもきっと悩み、もがき、俯いてしまう時があったことは想像に容易い。
いつも彼らの言葉を聞いた時、名門能代の灯火はこうやって、しっかりと次世代に受け継がれていくのだと感じる。
あの4文字が高校バスケ界から姿を消してしまう。
しかし、だからこそ、また色濃くその伝統が、日本バスケ界にしっかりと示されるのかもしれないとも思った。
その1人が、長谷川暢や猪狩渉なのだと。
猪狩渉が別れ際、いつも口癖のように口にする言葉がある。
『宮本さん、96年組をよろしくお願いします!』
自分だけでなく、周りのみんなの想いもそれぞれが背負っている。
そして、それぞれがそれぞれの場所で特別な想いを背負って戦っている。
それは決して、キラキラしたかっこいいものではないかもしれない。
それでもきっと、彼らがいる限り、『能代工業』の文字はバスケ界から消えることはないし、日が経つごとにその歴史は色濃く刻まれていくだろう。
バスケ王国秋田。
今、秋田ノーザンハピネッツも、ゴール下の要をなくし、苦しい状況が続く。
それでも、そのプライドの灯火が消えることはなかったのだと、名古屋戦のGAME2をみて感じた。
きっと、この時代がいつか、後世に語られる時代になる。
目指す場所はあくまでも日本一。
志半ばで日本を離れた仲間のためにも…
そんなことを画面越しに感じた、2月の秋田を想フ。